出撃直前の6月1日
清盛の西八条邸を多田行綱が訪れて平氏打倒の謀議を密告した。
『愚管抄』によれば、後白河が静賢の鹿ケ谷山荘に御幸した際、藤原成親・西光・俊寛が集まり平氏打倒の計画が話し合われ、行綱が呼ばれて旗揚げの白旗用として宇治布30反が与えられたという。
また『平家物語』によれば、成親が立ち上がって瓶子が倒れ、後白河が「あれはいかに」と問うと成親が「平氏たはれ候ぬ」と答え、俊寛がそれをどうするか尋ねると西光が「頸をとるにしかず」と瓶子の首を折り割ったという。
なお、この会合を比叡山攻撃の方針を確認した会合に過ぎなかったとする見解もある。
多田行綱は明雲捕縛に失敗したという行きがかりがあり、会合の目的が延暦寺攻撃・平氏打倒のいずれにしても何らかの軍事行動に加わる立場にあったと推定される。
清盛は直ちに西光を呼び出して拷問にかけ、全てを自供させると首を刎ねた。
『愚管抄』によれば、後白河が静賢の鹿ケ谷山荘に御幸した際、藤原成親・西光・俊寛が集まり平氏打倒の計画が話し合われ、行綱が呼ばれて旗揚げの白旗用として宇治布30反が与えられたという。
また『平家物語』によれば、成親が立ち上がって瓶子が倒れ、後白河が「あれはいかに」と問うと成親が「平氏たはれ候ぬ」と答え、俊寛がそれをどうするか尋ねると西光が「頸をとるにしかず」と瓶子の首を折り割ったという。
なお、この会合を比叡山攻撃の方針を確認した会合に過ぎなかったとする見解もある。
多田行綱は明雲捕縛に失敗したという行きがかりがあり、会合の目的が延暦寺攻撃・平氏打倒のいずれにしても何らかの軍事行動に加わる立場にあったと推定される。
清盛は直ちに西光を呼び出して拷問にかけ、全てを自供させると首を刎ねた。
update:2010年03月06日
